こんばんは、葵です。
「あわいの感覚」という言葉を、本で見つけました。
みなさんは「あわいの感覚」大切にできていますか?
あわいの感覚
漢字で書くと、間の感覚。
意味は、向かい合うもののあいだ。
あるいは、ふたつのものの関係。
なにか と なにかの間に漂うものの感覚のこと。
あわいの感覚を忘れる大人
たとえば、夏の終わりと秋のはじまり。
夕方と夜のさかいめ。子供と大人のあいだ。
ふたつの混じり合う場所には、なにかセンチメンタルな、鼻の奥をツーンとさせるような、そんな切ないもどかしさのようなものを覚えます。
気がついたら夜になっていて、気がついたら今日が昨日になっていて、気がついたら今年ももう少しで終わりで‥
慌ただしく動いていると「あわいの感覚」を見失うみたい。
昼と夜の境を、最近見たでしょうか?
明日がやってくる瞬間を実感したでしょうか?
子どもの頃は、そんな「あわいの感覚」を大切に、時に怖いくらいに思っていたのに、大人になるにつれてどんどん忘れてしまっていた気がします。
あわいの感覚を大切にしたい
夏から秋に移ろう空気の匂いや、湿気の中に混じるひんやりした冷たさを
夜へと向かう夕方の、紅と青とが混じり合う寂しさに似た不気味さを
今日が昨日に変わる瞬間の、不思議な高揚感を大切にしたいとわたしは思うのです。
休職する直前、早退した日、ふと空を見上げたら淡い夕焼けが。
「あ、夕焼け見るのひさしぶりかも」って思ったら、じんわり涙が出てきた。
足元じゃなくて、空を見上げて歩いたのっていつぶりだっけ、と思ったら笑えてきた。
そんなことにも気づかないくらい、余裕がなかったんだなって。
毎日まじめに、一生懸命に生きるのもいいけれど、ふと「間」に目を向けて。
「間」は人生の中で、実は重要な時間だと思う。
余裕がないと、人はあわいの感覚を見失ってしまう。
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