I am

日常のちょっとしたキラキラを切り取るブログ

何者かになりたいわたし

こんばんは、葵です。

今日通勤の電車で、ふと気づいたこと。

今のわたしの聴いている音楽、読んでいる本には、「何者にもなれない」「何者かになりたい」というフレーズがよく出てくる。

 

無意識のうちに、何者かになりたいんだろうな。わたし。

 

何者かになりたいわたし

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「I am」という名前のこのブログ。

これはブログ開始当初、自分が何者なのか見失い、「わたしは…」と自問自答する場所にしたいという思いがあってつけたもの。

 

表ではキラキラしたものを掬うブログとしているものの、自分の好きなものを集めて自分を確立する場所として機能してくれている。

書くことで自分の思考や、嗜好を客観視できています。

 

思えばずっと、何者かになりたくて、でも何者にもなれなくて、もがいてる。

 

満たされない、が強い

ここ最近、夜になると心がふにゃりと萎んでいって、思わず口から零れる「寂しい」

 

でも本当に寂しいのかなと考えてみると、少し違っていて。

心にぽっかりと穴があいた様ですうすうするものだから、てっきり寂しいのかと思っていたけれど、どうやら心が満たされていないみたい。

 

「誰かから必要とされる自分」「愛してもらえる自分」「優秀な自分」「特別な自分」でありたいという想いが、「何者かになりたい」という欲求を生んでいるのかな。

 

「何者かになりたい」は現代病?

わたしの場合は、「優秀でないと存在意義がない」と思い込んで育ったせいで、誰かに評価されることでしか自分の存在意義を確認できない人間で。

 

点数がつけられて、誰かからの評価があって、初めて「わたしってこれが正解なんだ」ってわかるというか。自分ひとりで自分の存在を認めることができず、日々「これでいいのか」と自問自答して心がすり減っていく。

誰かに手っ取り早く「いいね」してもらえると、心も楽だし、自分がここにいてもいいといわれてるようで安心する。

 

「何者かになりたい自分」「何者にもなれない自分」で悩んでいる人が多い気がする。

いいねの数を気にする人も、フォロワーの数を競い合う人も、マウンティングしている人も、成功体験をやたらと語りたがる人も、恋人に依存する人も…

みんな他人に認めてもらって、ここにいていいんだよって言ってもらいたいだけなんだろうな。

 

世代とか関係なく、自分一人でぐっと立っていけるような、安定した土台を築けなかった人っていうのは多いのかもしれない。

 

たぶん、何者にもなれないわたし

 

子どもの頃から「オンリーワンであれ」と言われたせいか、何者かにならないとという呪縛をかけていたのだと思う。きっと何者にもなれない人が大半だと思う。きっとそんなもの。

何者にもなれない自分を受け入れて、愛してあげないと、この先どんどん満たされなくて苦しむのだろう。

 

とにかく今日は、あたたかくて甘いホットミルクをドーピングして、眠りにつこう。