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愛し方は、人それぞれ

こんばんは、葵です。
最近すこし頭を抱えている、彼とわたしの恋愛観の違いについて、頭を整理するために書き出したいなと思います。

愛し方は、人それぞれ

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彼や友人と話したり、SNSなんかを見ていると、本当に愛し方、愛情表現は人それぞれだなと思います。


ふたりで仲良く何かを共有したい人もいれば、各々やりたいことをして個を尊重したい人もいる。高めあいたい人もいれば、支えあいたい人もいるし、全力で支えるから相手には全力で疾走してほしいという人も…

いろんな人がいると理解していても、求めることが相手と違うと、それはもう大変で。
無理して合わせたり、合わせきれなくて喧嘩が絶えなかったり…

 

わたしの場合

わたしの愛に対する考え方はこれ。

「いろいろあるだろうけど、俺は献身とか見返りを求めない無償の愛ってやつは愛だとは思わないな。相手のためを思って引くっていうのは、自己満足の欺瞞に見える」
「愛は、イコール執着だよ。その相手にきちんと執着することだ」
〔スロウハイツの神様〕


執着は、相手に強く惹かれ、深く想い込んでどうしても思い出してしまうこと。
相手に何かを求めるというよりも、自分の気持ちの中で相手への気持ちが大きくなって強く想い焦がれる、そんなイメージ。

わたしの彼への気持ちは、執着しているに近い気がする。
「個」だとはわかっていても、それでも相手に惹かれて、思い入れているから、「個」は尊重しつつも、求めてしまう。


「同じ熱量を彼から注がれたいし、執着してほしい」が本音。


彼の場合

彼からの愛は正反対。
わたしからの見返りを求めず、わたしの想いを信頼して、執着もせず、放任してくれる。相手を縛らないことこそ、相手を想う気持ちだと思っているよう。

「好きだけれど、自由は欲しい」が彼の本音だと思う。

もちろん、どちらが正しいなんてないけれど、自分とは違う愛情表現にはすこし戸惑ってしまう。


モノへの愛着との相関

普段の生活を見ていても、違いが出てくることに気が付きました。

わたしは割とモノにも執着する。
そのため「これじゃないと眠れない」「旅行はこのカバンじゃないと」「このカメラは宝物」と、愛着がわいて可愛がるモノがたくさんあります。

お気に入りのものを、友達に「貸して」と言われたら渋ってしまう…それくらい執着しているモノたちがたくさん。
なにかを買う時も間に合わせではなく「これがいい!」で購入したいクチ。
愛着を持てない「ビニール傘」「ペットボトル」なんかは購入したくない。


一方彼はモノへの執着が薄い気がするのです。

長く愛用しているものが多いけれど「買いかえるのが面倒くさいから」が理由で付き合っているモノたちが多い。

カバンを買う時も「とりあえず」安いしこれでいいか。雨が降ったら「とりあえず」ビニール傘を買って、会社でぐるぐる回される。
「これがいい」ではなく、「これでいい」という無欲というか、執着しないというか…そんな人。


恋愛もなんだか似ている

こうやって書きだしてみると、恋愛にも「これでいい」感が出ている気がする。
一緒にやりたいこともも、欲しいプレゼントもなく「これでいい」。

彼の私に対するゆるぎない信頼は、言い換えれば、執着のなさなのかもしれない。わたしは彼の「間に合わせ」なのかもしれないなぁ。
 
遠距離じゃなかったらここまで執着していないのかもしれないし、彼はもう少し執着してくれるのかもしれない。
相手を感じられない距離を、「感じられるようにしたいわたし」と「感じられないんだから仕方がないと思う彼」はすれ違ってしまうのかもしれない。


とはいえ、愛し方はさまざま

ふにふに文句を言ってきたけれど、愛し方はさまざま。
執着しないのも愛なのかもしれない。執着しすぎるのは、もはや愛ではないのかもしれない。
何が正しいかわからないが、お互いが納得できるよう、妥協点を見つけるのは必至。

互いに理解しがたい相手と、妥協点を探っていくのは、非常に骨が折れる作業だと思う。
今はそれをする元気がないから、距離を置いて、考えないようにする。

でも、離れれば離れるほど想いが募るしまうのが、執着型恋愛の悲しい性なのです。