こんばんは、葵です。
うまくブログを書こうと身構えると、言葉が出てこなくなっちゃうので、珍しくつらつらと文章を書いてみる。
貴方は生きるのに向いている人よ、と誰かが言った
昔、わたしに「貴方は生きるのに向いている人ね」と言ってくれた人がいた。
その人と出会った時、わたしは14歳で、自分にも世界に絶望していて、もういっそ消えてしまいたいと思っていた時期だった。
「生きている意味がわからない」と泣くわたしに、彼女は「貴方は何かをするために存在するんじゃなくて、生きるために生きていると思う」と、まるで哲学のようなことを口にした。
その人は、学生のためのカウンセラーだった。
その人と出会って間もない頃、好きなものは?と尋ねられた。好きなものを30個集めてみて、と。
よくわからないまま、好きなものをかき集めた。犬とか映画を見ることとか。
書いているうちにたくさん好きが溢れてきて、雨の音とか、外を歩いている時にふと気づく季節の匂いとか、夏の日の朝とか、そんなことをつらつら書きなぐった。
それを見て、「貴方は本当に生きるのに向いている人だわ」と言ってくれたのだった。
日常を過ごしていると見過ごしてしまう、小さな変化や幸せを噛みしめることができる。
同年代の子はモノや情報を好きなものにあげることが多いのに、こんなに身近にある儚い移ろいに心を寄せられる。
それが幸せなことであり、また、同年代には理解し難く貴方にとっては不幸なことでもある、と教えてくれた。
「貴方の大切なものを理解できる人は周りに少ないから、どうしてもしんどさを感じることも多いと思う。貴方のことだから周りの人に合わせすぎて、自分の好きに気づくアンテナを鈍らせてしまうこともある。周りに合わせることは悪いことではないけれど、貴方の好きを隠したり捨てたりするのは勿体ない。
自分一人で取り出して、眺めて、愛でて。少しの共感してくれる人を見つけたならば、その人にお裾分けしてあげて、大切に大切に育んであげてほしい。
飾り付けされていない、自然のままのこの世界を愛せるなんて、貴方は本当に生きるのに向いている。」
不満や不安を書きなぐっていた日記帳に、その時言われたセリフだけ丁寧に書いてあった。
この言葉に、何度救われただろう。
それ以来、気に入った映画も音楽も、人には言わず自分の中にストックして、たまに取り出してはニヤニヤ眺めて、また胸にしまっておくようになった。
人に無理に理解してもらおうとも思わない。
わたしだけの宝物を胸に秘めて、日々それとなく生きていようと思う。
今でも、あの時言われた言葉を思い出す。
「何かを成すために生まれてきたのではなく、貴方は生きることを楽しむために生まれてきたのね。星が綺麗とか、冬の朝は寒いけど空気が澄んでいて気持ちいいとか、そういうことを楽しむために生きるのよ」
わたしは、生きることを楽しむために生まれてきたので、うまく生きられなくても、何かを成し遂げなくてもよしとする。
ブログが書けなくても、質問箱ばっかり相手にしてもよしとする。
たぶん、それでいいのだと思う。